「思いやり」を欠いたとき「シェア」は自分占有率となる
「思いやり」を欠いたとき、
「シェア」は自分占有率となる
シェアリングエコノミーという言葉が流行って
カーシェアリング
シェアハウス
ワークシェアリング
SNSでの情報のシェア
etc…
「シェア」は分配や共有の意味で
広がっているように見えたけれど。。。
日本社会がこんな状態で
あれ?「シェア」精神はどこに消えた?
と考えていたんだけど。。。
そしたら、
カーシェアリングすれば、
車にかかる固定費が抑えられれる
シェアハウスに住めば、
家賃にかかる固定費が抑えられる
ワークシェアリングにすれば、
不得意な仕事は避けることができる
SNSは良い循環を生む「シェア」もあれば
悪い循環を生む「シェア」もある
(それぞれの正義でシェアをする
どちらが正しいとは一概には言えない)
つまり、一見「助けあい」の意味で
広がっているようにみえた「シェア」が
何かしらの利益があるからこその「シェア」が
広まっていただけなのかなと思えてしまった。
「シェア」に思いやりがあるときは
分配や共有になるけれど、
「シェア」から思いやりをとると、
自分占有率というか自分優先率が上がる。
多くの人は
誰かのために「シェア」ではなく、
自分のために「シェア」するのだ。
だからといって
カーシェアリング
シェアハウス
ワークシェアリング
SNSでの情報のシェア
etc…
が悪いわけではない。
カーシェアリングをすることで
地球環境にやさしくなる
シェアハウスに住むことで
コミュニケーションを通して生活を支えることができる
ワークシェアリングを利用することで
より自分の能力で社会貢献する
SNSでの情報のシェアによって
欲しい情報を提供する
結局、どんな思いで「シェア」をするのかで
「シェア」が意味するものが全く違う存在になってしまう。
意識が「思いやり」に向かったら
「シェア」は誰かを助けあい共に生きることに
意識が「自分たちだけ」に向かったら
「シェア」は自分と周りだけが生き残ることに
どちらかを採用するのか?で
結果が全然変わってくるよね。
あなたがしている「シェア」の意識はどこに向かっていますか。
考えてみると視野が広がります。