価値を探す限り自分らしくは生きれない
「自分が他人に提供できる価値」それは何なのか?
面白いくらいに皆、ここにとらわれます。
強みの発見とかそういったワークで
”価値”を探そうといったセミナーも巷では多いです。
毎回、不思議だなって感じるのは
「自分が好きなことで生きていこう」
と思っているにも関わらず
「他人から評価される”価値”にこだわるところ」
結局は、他人のニーズを満たすことを考えているので
これって大きな矛盾が生まれていますよね。
”価値”とは状況によって変化するし、
他との比較などによって「あるなし」が決まります。
言ってしまえば、
流動的なものであって、
そこに留まるものではない。
”価値”があれば、集客できて、
”価値”があれば、商品が売れて、
”価値”があれば、お客様に満足してもらえる。
当たり前のことだけど、
これって「自分目線」でなくて
「お客様」目線です。
いわゆる昭和の時代が
やってきたビジネスモデルです。
足りないものがあるから
不足を埋めていく。
その結果、
ほぼ不足がなくなったのが今。
そして、今は令和。
昭和モデルが古いと言われ、
「好きなことを仕事にしていく時代」
「会社にとらわれずに収入を得る時代」
「個人の強みが収入になる時代」
色々言われてるけど、
”価値”にとらわれている思考から
抜け出さない限りは
「自分が好きなことで生きていこう」
ってただただ言っているだけで、
好きなこと探しに一生懸命で時間を
消費してたら意味がありません。
結局は令和モデルでやろうとしているのに
昭和のビジネスモデルを選択してるに過ぎないからです。
好きなことって探すことはもちろん大切です。
しかし、誰もが自分の好きなことに
他人から見られる価値をつけたがり、
収入を得ることを考えすぎているのが今の現状です。
今も存続している会社という組織の中では
最初から他人にとって価値があり収入を得れることができます。
好きな仕事を見つけた方がいいという言葉に踊らされず
会社の中で好きなことを探していく方が楽だし早いと言えるでしょう。
新しい”価値”を見出しているようで
”価値”に縛られている
現代は多くの人々が敢えて、
わざわざ選択しなくて良いものを
選択させらているだけであり、
選択させられてることにさえ気がつかず、
自らが選択していると思い込んでいます。
選択しているからこそ、自分は
「時代の流れに適応している」
と思い込まされているだけなのです。
”価値”なんてあってないようなものです。
同じ「100円の水のペットボトル」だって
砂漠の中と都会では価値が異なります。
砂漠の中で100万円持って今にも倒れそうな人に
「100円の水のペットボトル」を差し出せば、
100万円でも買ってもらえます。
だから
好きなことを仕事にしたかったら
探し出すものは”価値”ではありません。
いかに
水のない砂漠を作り出せるのか?
が重要です。
そして今僕らの目の前に広がる砂漠が
「好きなことを仕事にしよう」
「自分の価値で存在給を作ろう」
であることを忘れてはいけません。
ここで悩んでいる限りは
そもそも他人の砂漠の中で迷子になって
常に目の前に必要に見える
高単価な”価値”あるように見せかけられた
水を差し出されている状態に過ぎないのです。